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2011.10
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岡村トモ子のたのしい時間
2012.7
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九州ツアー
2014.3
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"意気込みの柵"


わたしは山口県下関で蝶よ花よと育てられた。
それもう自他共に認める箱入り娘だったと思う。
二重にも三重にも箱に入って、人はわたしを「下関のマトリョーシカ」と呼んだ。

我ながら壮絶な中高生時代だったと思う。
でもわたしは辛い思い出と幸せな思い出の詰まった地元をひっくるめて、その全部を心から愛している。

サックスを始めたのは12歳のとき。
東京に出たのは18のとき。
そして22歳で社会に。

たった数か月の契約社員時代、どうしても納得いかなかった。
いったいに何にお金が支払われているのかがわからなくて。
いったい誰が喜んだのかもわからなくて。
ありとあらゆるシクミに流され、取捨選択もしないまま、本質が見えなくなる。
ただ過ぎていく毎日にいてもたってもいられなくて、辞表を書いた。

「すみません、どうしてもポリシーに反します。」
そしてふと側にあったサックスに目をやる。
ずっと続けてきた音楽活動を本業にしたいと強く思った。

とにかく自分で取捨選択をしたくて、使命感に燃えていた。
きっとサラリーマンでも占い師でもミュージシャンでも何でも良かったんだと思う。
自分が選んだと判断に100%責任を負えるのであれば。生ぬるい人生でなければ。

納得した判断とお金だけで生きていきたい。
音楽以外で得たお金は汚らわしい、与えられた判断は認めないと決め込んで。
おかげさまで、女とは思えない貧乏な2年間が待っていた。

自分で踏み出したという自信。
誰にも保証されない不安と孤独。

大志を口にしながら、本当はずっとこれでいいのかと思っていた。

あれから4年が経ち、わたしはサックスで生活している。
まだ邁進はスタートしたばかりだけれど。

自分で勝ち取ったチャンス、こじ開けた環境、不安に負けない判断が大きな自信になる。
と同時に、そのプレッシャーと責任から逃れないように、自問自答をする毎日。
何より自分の選択と決断を怠らないように。

活動の場が広がり、素敵すぎるアーティストにも恵まれた。
胸をはって親に報告できる仕事も増え、自信と焦燥感が加算された。

そんな中、ずっと心に描いていたこと。
それがわたしの愛する地元でのライブ活動。

もしかしたら、ただの傲慢なのかもしれないけれど、それでも夢見ていた。
東京で学んだことが、少しでも地元の音楽シーン活性化につながればと、
本気でそう思っていたからだ。

地元にはライブハウスも少ない。
音楽人口も少ない。

でも音楽イベントがあれば人が集まる。
音楽で笑顔も仕事も生まれるのであれば、それは故郷への一番の恩返しだと思った。
わたしにできることなんて、まだ少ない。けれどゼロではない。
1が2になって3になって。これはわたしの勝手な使命感。


見とけよー。


岡村トモ子  

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